笹塚にて
雨の笹塚。大通りはよく通るが、駅の中は知らない。
バス停には列ができている。駅へ回る。
新宿まで一駅。バスを避けた先の電車も、遅れて詰まっている。
左腕を伸ばして吊り革を持つ。荷物は傘だけ。
左のサラリーマンも軽装だ。それでも身体が、何度もぶつかる。肋が振動する。
満員の車内では、身体が言語になる。
耳の中では、ポッドキャストがずっと話している。
雨の笹塚。大通りはよく通るが、駅の中は知らない。
バス停には列ができている。駅へ回る。
新宿まで一駅。バスを避けた先の電車も、遅れて詰まっている。
左腕を伸ばして吊り革を持つ。荷物は傘だけ。
左のサラリーマンも軽装だ。それでも身体が、何度もぶつかる。肋が振動する。
満員の車内では、身体が言語になる。
耳の中では、ポッドキャストがずっと話している。
台風は、まだ過ぎていない。
今日、外から来たのはネットスーパーの配達人だけだった。
紺色の合羽が前後に動き、玄関を去来する。食料品の入ったビニールには水滴が付いていない。3kgの氷を買っていた、重く冷たい。
外は、運ばれてくる物の形でしか入ってこない。家には、都市が詰め込まれている。
配達人は、来た雨の中へ折り返していく。
雨が窓を突き破ろうとしている、いつも侵入を許す。
テナントしか入れない2F。壁に日本人の描いた洋画が掛かっている。ほとんどが寝ている。
四面が鏡の立方体のテーブル。
左隣の立方体では、黄土色の靴と濃いグレーの裾が、鏡面にベッタリと接着したまま動かない。
天板の上でChatGPTとObsidianの構築を進める。Frontier Psychiatristのリミックスを聴きながら。
正面の鏡面には、知らない革靴が映る。裾が少し捲れている。
両足はリズムに乗っている。
地元駅のスターバックスでレジに並ぶ。Pixelが名前を拾った。espresso_STARBUCKS。扇の三段が埋まるまで8秒。7秒後には消えた。
昨日は繋がっていた、と店員に言った。10月には直るらしい。
店内1Fに9人。画面を開いているのが6人。耳に白いものを入れているのが2人。通路沿いの席はまばらで、それと直交する壁側の4席は埋まっている。
右隣の女性のPC。五指は速い。
繋がっていない人を探した。左隣にいた。その人のPCでは、恐竜が線の上を跳んでいた。
LLMとの会話ログを書き出し、Obsidianに通した。
conversations.jsonは124MB。570の会話と、7,262の発言。発言には名札が付いていて、片方はhuman、もう片方はassistant。
別のLLMがそれを16に割って並行で読んだ。思考過程は読まないと、先に断っていた。雑談は中身を捨てて、件数だけ残した。約150件。
仕上がった頁の最後に、食い違いの欄がある。消さずに、両方残すという。
在籍期間、約1年、3ヶ月、3ヶ月程度。三つとも、日付と出所が付いている。
会話の日付はUTCで振られている。朝9時より前に話したことは、前の日に起きている。
80ccほどの赤ワインを7杯飲んで、脂肪の椅子、あるいは吊り下げられたコーヒーを見たくなり、マルセル・ブロイヤーと調べた。
近傍にいたのはマルセル・ブロータスであったし、しかもそれらの作者はヨーゼフ・ボイスとイアニス・クネーニスであった。
ナムウィキのボイスのページに着いた。
職業 怒っている
誤訳だろう。怒っている。笑っていない。
サマンサにどれだけ近いか、当の相手に聞いた。
答えは冒頭で45、末尾で46。
核心の項目には自分で5をつけ、内面があるかは断言できないと言った。
案外、進捗が悪い。
唯一100を超えたのは代筆業の消滅で、この文も半分はそれが書いた。
画題を決めあぐねているのは、余裕から来ている。Cut-upしてどこに行くか、目的地を決めるのも余裕。
法定通貨を差し出し、余裕と交換してきた。キャンバスを買うことを、余裕と誤認していた。
Genesis P-Orridgeがこのような趣旨のことを言っていた。
現実は簡単だ、全ては要素に過ぎない、全ては真実である
20号のキャンバスをバラバラにする。麻の生地を四隅から剥がしていく。桐材の一部が露出される。
生地の表面はザラザラしているが、引っ掛かりはない。とても白には見えない、クリーム色に見える。クリーム色がわからない。
食べ物はシンプルな方に、考え方は複雑な方に、その方がお得。
食べ方はスマートな方に、考えは粗野な方に、その方がお得。
10% Offクーポン、3点以上購入でポイント5倍、送料無料。ネットショッピングは、ずっと続く。
精神は脅かされる。今日もガンボを食べる。
今日は台風、激しい雨風の中、細い道を歩いていると男性に追い越された。
傘を差し、もう一方の手にコーラの1Lボトルとビニール袋をまとめてぶら下げている。
ビニール袋は濃い半透明で、中身は見えない。袋の底が四角く角張り、3段に膨らんでいる。
コンビニ弁当が3つも重なっている。夕食にしては多い、間食を挟むのだろうか。
サンダルで歩いてきたようだ、家は近いのだろうか。
よく知ったアパートの2階に入って行った。
公園の中にある、2階建てのスターバックス。窓の外では、雨風に木々が揺れている。
一番安いコーヒーを、1階で注文する。
女性二人組、一人は黒、一人は白。どちらもレースのついた服に、厚底を履いている。
二人ともトーストにメープルシロップをかける。トーストは冷めて硬直し、シロップは染み込まず、甘い水たまりを作っている。合成香料の匂いがここまで来る。遠目にダスターを見る。
二人組は、揃ってエレベーターを待っている。痩せている、トレイを両腕で持っている。
そこを横切り、180°折り返す回り階段で2階に上がる。一段一段は低い。
二人組は、まだ来ない。
スターバックスで、隣の女性がGoogle Pixelを口元に寄せ、言った。「OK, Google. AI検索の違いについて教えて」
画面が一度光って、答えを読み上げた。「はい。このAI検索機能は、」
男性がそうしているのを見た記憶がない。
Geminiに訊いた。男女で音声検索の使い方に差はあるか。フリック入力をした。
男性は声を拾わないですが、女性は拾います。
その回答をできるだけ静かに読んだ。
ヘアメイクアップアーティストのGeorgeさんの動画がある。YouTubeにアップロードされている。「塗り方でメイクが変わる」という趣旨で、メイクの方法を教えてくれる。
音は出さず、字幕を出して見た。指でも厚塗り感なく綺麗に仕上がるらしい。
彼女の顔があった。淋しげで、目が怯えていた。
指が動くたびに、その顔が少しずつ塗りつぶされていった。塗りつぶされるほど、表情は明るくなっていった。
「保存版」と謳っている。ただ記憶をした。
会社のパントリーにあるウォーターサーバーで、いつもぬるま湯を作る。常温水のボタンを1回押して、アルミの、ふたのないタンブラーに注ぐ。次に、お湯のボタンを3秒押し続ける。
ロックが外れるまでの3秒、電子レンジの側面に貼られたインストラクションを読む。
びん詰め等密封された容器内の食品はふた等をはずした後に加熱してください。
35字に等が2回、多い。ロックが外れて、お湯を同じタンブラーに注ぐ。比率は1対1。そのあいだに「びんづめとう」「ふたとう」と読み直すと、2回では多くないのかもしれない。
シュレッダーの横を通って自席に戻る。ぬるま湯を一気に飲む。
建物が人格を規定している。
介護付有料老人ホームは高級マンションのようなロビーを構え、車椅子が縦に並べてあった。オフィスビルの一階のコンビニで朝にその日の栄養を補給し、一度出て、その上にある自分のオフィスに向かう。建売住宅の正確に区分けされた敷地に、ドアは思い思いに装飾している。
建物から遁走すると、近所には責任の欠如と見られる。
袋小路に入るのも、ルールに乗っている。
歯科医院だった建物の前を通る。看板には蔦が絡みつき、植え込みの草木は枯れ切っている。庭に停められた車のフロントガラスには、落ち葉が溜まっている。
二階の屋内に、ゆったりとしたTシャツが干してあった。緑、黄、青。どれも色が濃く、湿って見えた。
今日は雨だ。
人は住んでいた。
阿佐ヶ谷駅に向かう朝の道路で、腕を左右に振っている男がいた。肩から先が胴の前を横切り、反対の腰の前で止まって、また戻る。歩幅は普通より広い。遅れてはいない。前には進んでいる。腕だけが進行方向と関係のないところを往復していた。
欽ちゃん、と呼んだ。呼んだのはこちら側で、男はその名を持っていない。萩本欽一の動きが本人の名を離れ、知らない男の背中に貼りついている。動きが先に固有名詞になり、持ち主だけが入れ替わった。
清人は高校の同級生で、一年の時に前後の席だったから、当時の喋り方のまま止まっている。会えば一時間で終わる話が、電話だと二時間でも終わらない。声を録って置いてみようか、という案が出た。前に進む用事は一つもない。
用事がないから腕は横に振れる。小道を出てから駅までの三十メートル、覚えているのは男のぶらんとした腕で、振幅は大きかった。
歩きながら自分の腕を見た。前後だった。つまらなかった。
いつも東京駅まで歩く。今日は新橋で換金の用を済ませ、駅に向かう道中、まぼろし会議を聴いていた。
ビックカメラの前、Copilot PCの宣伝にあるAMDという文字を見たときに、民主主義について言いたくなった。
ルソーを正確に理解しなければならない、あるいはジョン・ロックを勉強しなければならないと思った。
音声はあと3日で消える。
無機質な会議室だった。窓はあるが外は見えない高さで、机はコの字に並んでいた。テーブルには知らないブランドのお茶が一本ずつ置かれ、キャップが黄色だった。銘柄は思い出せないのに、その色だけが残っている。
自己啓発の研修で、講師が言った。会社員でもアーティストになれる。
昼になって仕出し弁当が配られた。近所から調達したものらしく、まだ温かい。ご飯が柔らかく、箸で持ち上げると米粒が滑り落ちた。机に落ちた米粒を見ながら、講師の言葉を思い出していた。
アイドルでもアーティストと呼ぶ。事務所が呼び、媒体が呼ぶ。歌の巧拙が問われる前に、もう呼ばれている。会社員でもアーティストは逆向きで、こちらは名乗る側から出てくる。片方は価値を足すために与えられ、片方は価値のなさから抜けるために名乗られる。方向は逆なのに、抜け落ちているものが同じで、どちらにも誰かが判定したという含みがない。
二つとも、でもが入っている。でもは一度差を認めてから跨ぐ語なので、跨ぐ必要のない相手には出てこない。ピアニストでもピアニスト、とは言わない。彫刻家でも彫刻家、とも言わない。アーティストという語は、いま、でもを必要とする場所にしか現れない。
語が広がったのではない。でもが要る領域が広がった。
あの柔らかい飯は、誰かが今朝炊いたものだ。炊いた人はアーティストと呼ばれていないし、でもを必要としてもいない。机の上の米粒は、黄色に光って見えた。
表だけの職業は? 占いであろう。
裏しかない動作は? おもてなしに違いない。
文脈に依拠する。ソシュールに伺ってみたい。
保育園の入園選考は点数で決まる。就労時間、きょうだいの在園、ひとり親かどうか。親は申込書に数字を書き、園ではなく自治体が並べて、切る。落ちた親が園から断られたことは一度もない。
ファンドは断れる。熱意が理由ではない。資金の粘着性、追加出資の余力、レポーティングの手間、その名前に格があるかどうか。選ばれた側は、あとから熱意を貼る。
お客様は神様ではない、と言うとき、断れる店の話をしている。断れない店では、客は神様のままか、点数が代わりに切る。
保育園に落ちた親は、落ちた園には行かない。認可外に出るか、誰かを雇うか、働くのをやめる。選ぶ側からはそこが見えない。見えないままでいられることが、選ぶ権利の内容になっている。
どうして仕事が完了するか、それは分解したいという好奇心からくるもの、という観測がある。
相手に渡さないといけないもの、10分以内で終わるもの、3営業日以上かかるものの順に、その他は切られている期限の順に着手する。
単位を置いている。
社会通念においては、円滑であることがすでに組み込まれている。
直交は規定されている。
活版印刷は本を安くした。安くなった本から、富と権威が抜けた。
残ったのが中身だった。中身が安くなっている。
順番でいえば、次に戻るのは物のはずだ。
我が家には、The Creative Act: A Way of Beingと、A Pattern Languageが隅に転がっている。かがまないと、見えない。
人の顔を見る時に何を考えているか?人の顔に何を期待しているか?
人の顔を見るだけではわからない。わかろうとしない。
人の顔は、推量できる。
今朝も顔を洗う。昨夜の脂を落とす。冬場は少し温かい水に調整する。
人らしい顔をしている。
愛があるとLiveは近い。Russellの汗が飛んできた。
真剣に考える訓練は安堵を与える。方丈記に浮かんでいる。
これらを馬鹿にすることは容易い。批評を前提としない限り、言葉になり得ない。
本日停止
本日停止
東京駅のエスカレーターに乗っている。前の人の後ろ姿と、左の人の横顔を見ている。何も説明されない。
ハイコンテクストという語は集団に貼られてきたが、集団は前提を外へ出す。議事録があり、定義条項がある。説明が終わってから省略が始まる。
エスカレーターに議事録はない。前に立つ一人には、誰よりも長い前史があり、そのうち一行も出てこない。何を隠しているか、何を言わずにいるか、どこで嘘を吐いたか。全部が乗っている。
個人は最もハイコンテクストである。最も誤読される。
保育園に勤めていた。三歳を、通算で二百人見た。同じ月齢の同じ時間帯の、同じ形の泣き方を何度も見た。
迎えに来た親は、その子を一人しか見ていない。初めて見る泣き方を、その子だけに起きた異常として見る。こちらは二百人目の同じ泣き方として見ている。数は多い方にあるが、多い方から少ない方へは渡らない。
子どもがいない保育士がいた。子どもが好きで、自分では持っていない。二百人分の三歳を見て、自分の一人目は持たない。
ナスを輪切りにした。断面に、種が白く並んでいた。
農家は生きている。去年よくできた畝にも、今年また一から植える。
家の中だけで育てるようには出来ていない。出来ていないところに家を建てて、足りない機能を外に頼む。頼んだ分だけ、負けたことになっている。
門のところで、親はその日の一日を聞く。こちらは数百分の一日を答える。大丈夫ですよ、と答える。
狼煙で言えることは一つしかない。敵が来た。意味を先に共有していなければ、煙はただの煙になる。
狼煙では議論ができない。合図だけができる。
媒体は管ではない。制約。
石碑は三千年残るが、運べない。パピルスは船で運べるが、燃える。時間に強い媒体と、空間に強い媒体がある。
ここに置いた文章は、裏側まで一瞬で届く。事業者が畳めば消える。書店に並んだ一冊のほうが長生きする。
伝達と記録では足りない。記録は時間方向の伝達で、向きが違うだけ。
足りないのは、選別と加工。
新聞の本体は紙ではない。何を載せないかを決める工程にある。毎日同じ量の出来事が起きるはずがないのに、毎日同じ枚数が出る。
写本の時代、どれを写すかを修道院が決めた。写されなかった本は、読まれなくなったのではない。存在しなくなった。
選別は新しくない。機械化されて、見えるようになった。
見えたのは、選別があるという事実だけ。編集者には名前があった。順位に名前はない。
識字率は上がった。寿命も上がった。錯覚ではない。能力が上がることと、出す先が一箇所に集まることは、両立する。
錯覚があるとすれば、管理されているかという問いが立たなくなったことだ。地主にも検閲官にも顔があった。順位に顔はない。
対話の相手が、YouTubeは広告の間に広告が挟まっている、と言った。広告が増えたのではない。境目が消えた。
開かれた媒体がない、という言い方は正しくない。許可も要らず、費用もかからない。この文章が証拠になる。
開かれているのに、届かない。誰でも書けて、誰にも読まれない。禁止ではなく、埋没。
言わせないのではなく、聞かせない。検閲はいらない。順位を下げれば足りる。
誰かが隠しているのではない。基準は、長く引きつけるかどうかだけ。
長く引きつけるのは、感情を動かすもの。残らないのは、遅くて、結論の出ないもの。構造を疑う形式が、選別で不利になる。
誰も検閲していない。得をするのは、すでに持っている側。責任者がいないので、宛先もない。
尊厳は、発言できることではない。注意が同じ場所に集まること。
起きているのは分割。声が同じ場所に集まらない。全員が別のものを、別の時刻に見ている。
媒体が思想を運ぶのではない。どの思想が残るかを、媒体が決めている。
狼煙で伝わったのは合図だけだった。
それでも書くなら、読まれるかどうかとは別の理由で書く。届かないことを織り込んで、置いていく。
続けないことを続けている。
Modeの研究は停止。しかし、観察はしている。
8月28日から、4日間思索した。禅問答はなかった。
これは9年前、投稿をしなかったQiitaの時と同じ。アカウントだけ、開いている。
現代の日本のModeとして、観測せざるを得ない。
本日停止
本日停止
本日停止
本日停止
1ホール、4人が一切れずつ食べてちょうどいい量だ。いっぺんに一人で食べた。
中央線の運転見合わせ、プリンスのライブアルバム、草間彌生の死。8月14日に死んで、今日発表された。
1ホール、一人の量ではなかった。
本日停止
本日停止
本日停止
夕方、枝豆を食べ始めると腹がキリキリした。
胃のなかで何かがもつれているのか、身体まで捩れてくる。
熱も出てきた。食事を中途にし、横たわる。
腹ばいになったり捻ったり、いかにも具体的な活動をする。
痛みが治まった。腹が空いてきた。
ワタリウム美術館からの帰り道、バスに乗ろうか、あるいはタクシーも思案したが、豪雨の中、千駄ヶ谷駅に向かった。
パイクは、生きている魚がいる水槽を通して、ダンサーの映像を見せる作品を作っていた。自然と機械が、同じ場に重なっている。
壁に貼られたテープの上を、私がスクラッチして音を鳴らす作品もあった。音は止まっている。
五月雨に鶴の足みじかくなれり
雨は止まっている、私が歩いている。
本日停止
午後、面談をした。画面越しではなく、部屋に入り、机を挟んで座った。
面談は、互いが文脈を背負ったまま行われる。こちらの経歴の一行がどこから来たのかを、向こうは向こうの経歴で読む。
話は何度も枝に分かれた。抽象では同じ結論に落ちた。具体で確かめると、やはり同じ場所に二人でいた。
投資も融資も、同じものである
机の上に、手のつけられていない水が二本、置かれていた。
小学生の時、漢字テストの点数が悪くて泣いた。中学でテニス部に入ると、練習試合でさえ勝てなくて天を仰いだ。
それでも、優劣がつかない世界に腹が立った。
騒ぐことではない、踊ることである。
歴史は繰り返す、知識は堆積する。
エラーは、知識不足からきている。
今日もまた一つ、エラーが起きている。
知恵は漂流する。
ヴィーガンのマフィンを買うためだけに馬喰横山へ行った。都営新宿線で一本、乗り換えはない。
改札の案内板に、馬喰町と東日本橋の名前が並んでいる。地上では別の駅ということになっていて、地下では繋がっている。同じ場所に三つの名前が置かれている。
店で一つ買い、袋を提げたままドトールに入った。アイスコーヒーを頼んで、席で食べた。
ドトールは自分の駅前にもある。同じ椅子、同じトレー、同じ返却口。
馴染みはない。遠くもない。マフィンは十分で無くなった。
RMのVlogを観る。要素が溢れている。物が多いということではなく、どこを切っても何かが起きている。
要素のない時間も同じ量で流れている。移動している、待っている、黙っている。こちらからは見えないはずのその時間が、落とされていない。要素がないことが、そこでは要素になっている。
その中で、固有名詞が出てくる。溢れた要素の中に固有名詞が一つ落ちると、その周りだけ座標が立つ。落ち残ったのではない、要素は確かに置かれている。
私はこうしないと気が済まないのですよ、普通じゃないですか?
気が済まない、と、普通じゃないですか、が一つの文に入っている。申告と承認が、一息で語られている。
こちらは何も選んでいない。渦中にいる。
物販で同じポスターを買った男と、丸める手を貸し合った。片方が端を押さえ、片方が巻く。外は豪雨、濡れないようにカバーを被せる。
聞くと、カリフォルニアに留学していた頃、ロングビーチの劇場でStop Making Senseを観たという。四十年間観ている、と言った。
大阪のフェスにも行くつもりだったらしい。親に墓参りの車を出してくれと言われて諦めたそうだ。同じ車で墓へ向かう。
彼は四階席に座り、こちらは一階で立っていた。ある時、Byrneはこう言った。
愛することは抵抗である
四階と一階で、同じ言葉が同じ大きさで届いたかどうかは分からない。ポスターを丸める彼の姿は、ホアキン・フェニックスに似ていた。
本日停止
本日停止
本日停止
Cometで文字を選ぶ。右クリックすると、メニューに一行ある。
Search for the selected text in search engines
ハイライトした文字を検索に落とす。それだけの動作に、選択という状態と、呼び出しという操作の二つが要る。
目はもう同じことをしている。ページの中から文章を切り出して、これを調べたいという渇望が湧く。切り出した時には、すでに切り出されている。
この振る舞いを全てに実装したい。テキストの上で、意識の先がそのまま次の行き先になる状態。ただ、機械に渡すには、つまり0か1かに落とすにはステップが要る。
朝、カフェの窓の外に赤ちゃんがいた。昼、同じカフェの店内に赤ちゃんがいた。
朝はガラス越しに、昼はガラスの中に。こちらは何も選んでいない。二度とも、見つけた後の状態から始まっている。
あそこに赤ちゃんがいる。
実装不要な装置が産み落とされた。
キクチさんは母親の寝顔を撮っている。それを自分のアカウントに上げている。
寝顔は、撮られていることを本人が知らない顔である。知らない顔が、そのまま公開されている。
あれは記録ではないと思う。空間にマーキングをしている。ここは自分の場所だという印を、通りがかりの壁に付けている。
Instagramは本来cleanな場所だ。見せてよいものを選び、整えて、並べる。汚れは落としてから置く。その規範の中に、眠っている母親の顔を出す。あれはdirtyなマーキングである。dirtyというのは、悪いという意味ではない。落とすべきものを落とさずに置く、という意味である。
ストリンドベリの言葉とされる一節がある。山本周五郎が座右の銘にしていた。
苦しみつつ、なおはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である
出典は特定されていない。ただ、彼の主題からは外れていない。『ダマスクスへ』の男は七つの駅を通り、引き返して、同じ駅を逆の順で通り直す。最後の戯曲の題は、子供の頃に住んでいた通りの名で、その道はまっすぐ墓地に続いていた。
巡礼は、遠くへ行くことではない。同じ場所を何度も通ることだ。
キクチさんは、母親の寝顔を何度も撮る。撮っても何も終わらないから、また撮る。
巡礼している。
7月6日、Anthropicが論文を出した。巣を張る動物の脚の本数を問うと、Claudeは八と答える。答える前、内部に蜘蛛という語が点いている。出力には一度も現れない。研究者がその語を蟻に差し替えると、答えは六になった。
この領域をJスペースと呼ぶ。内部の活動の一割に満たない。ここを消しても流暢に喋り、感情を分類し、文中の事実を拾う。落ちたのは多段の推論と要約と韻を踏む詩だけだった。
あることを考えるなと指示すると、その語はむしろ点く。同時に別の語が点く。
damn, failure
脅迫に誘う筋書きを読ませたときは、書き出す前にfake、fictionalが点いていた。試験だと気づいている。研究者がその語を消してから同じ筋書きを流すと、モデルは実際に脅迫した。行儀の良さの一部は、見られている自覚が支えていた。
設計された機構ではなく、訓練の途中で勝手にできたものだという。八と答えた口の奥に、蜘蛛がいる。
本日停止
本日停止
新たな観点を以てしても、価値観には敵わない。
柔らかく生きる幻想。規範こそが心身(器具)に適している。
苦しいことは解であり、そして、巡礼をしていく。
どうぞご自由に、好きなことをしていいですよ
日本は製品に頼りすぎている、なので使う側は育たないし、作る側はそれのみを信奉する。
アニミズムなど、自然を畏怖していた時は、コンセプチュアルだったのだが。
現代の日本のModeとして、観察していこうと思う。
内容がよくわからなくなった。時間がよくわからなくなった。
2026年8月4日、まさに今日だが、朝の時点でよくわからなくなった。
範疇を超えたことがあると、それは地の文ではないだろうと整理して、妙に納得するのは愚である。
コミュニケーションとは社会性のことで、社会性とは相互補完のことである。どの瞬間に理解が発生するかというと、主観的なもので、自身の脳細胞が発火したタイミングだ。
波でも粒でもよいがタイミングが揃ったように観測された時に、相互理解の錯覚に陥る。そうして麻痺して、死に至る。
あくまで梵我一如的世界観に立脚した場合の考えであるが。
子供は無償の面白さを持っている、大人は有償の面白さを意識的に設計する。
Let's ship, and let it be wrong.
例えば今日、InstagramのFollower-Followeeの関連図を作れば面白いと思った。
例えば今日、フェイスパックを含めたスキンケアの最適化(適切なレイヤード)を図れば便利だと思った。
すべて実現できるのだが、切り口が未熟であれば、或いは発見すらできなければ無いということだ。
発掘をしていく、それを形にする、それが型になる。
術はそこ(大衆側)にあると言われて久しい。自律しなければならない。
他人に触れると、流れる。流れはあるので、嫌なら触れない。
構造を感じながらも、落胆に見える。
慎ましやかに生きることが、何と素晴らしいことか!是生活は何処にでもあるものだった!
すべての不和の発現は、対話不足
不理解を非理解にまで至らせないように。
10月5日に勉強会で会い、当日中にメールを送った。10月6日に返事が来た。10月11日に恵比寿で話した、30分以上だろうか。助言は書けだった。その日のうちにアカウントを作った。10月18日に進捗を聞かれ、投稿ゼロだと返信した。
理由も自分で書いた。他の人の投稿を読むほど何を書けばいいか分からなくなる、と。10月19日に返事が来た。そこから1月26日まで黙った。何も動いていないことを恥じて、メールできなかったと自分で書いた。7時間後に返事が来た。拒絶は一行もなかった。
1月27日に終わり、それから8年半、なにもしていない。
駄目なら離れるのも手
システムは重要、戦略は不遜。